過去の会 【 大阪地区 2014年 】
開催日時:2014年12月13日 午後1時30分~4時00分
講師:福田 正明 (聖書研究会 東京集会・シオンとの架け橋 スタッフ)
テーマ:ヘビは女に言った。あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。(創世記3:4~5)
エデンの園において、ヘビが女に「それを食べると、あなたがたの目が開け・・・」 と 誘いの言葉を言ったので、ついに女も、また共にいた夫も食べた結果、二人 の目が開けたと記されています。
「目が開く」という事がどういう事を意味するのか、私達一人一人にとって、 いのちに関わる大きなテーマです。 共に聖書に学びたいと思います。
開催日時:2014年11月08日 午後1時30分~4時00分
講師:阿部和博(聖書研究会 大阪集会・シオンとの架け橋 スタッフ)
テーマ:「聖霊と火のバプテスマ」(マタイ伝3章11節より)
「火」は文明を開化し、私たちの生活に様々な恩恵をもたらしています。火はあらゆるものを焼き尽くす一方で、新たなものを生み出す力を秘めています。人類は火を用いて、宗教をも作り出しました。
聖書には、火にまつわる記述が多くあります。マタイ伝3章では、「悔い改めにふさわしい実を結べ」と厳命したヨハネは、続いてイエスを、「このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう」と述べています。
今月の聖書に学ぶ会は、火のもつ不思議な働きを確かめながら、ヨハネのバプテスマを完成された主の御心に迫ってみましょう。私たちの集いが、一人ひとりの生き様にまで高められますように。
開催日時:2014年10月18日 午後1時30分~4時00分
講師:石井田 輝都(ヘブライ大学聖書考古学・比較宗教学専攻:京都地区員)
テーマ:パウロ神学から置換神学へ―パウロがキリスト教を反ユダヤにしたのか?
「兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。」ローマ11:25
イスラエルは神から捨てられ、教会は新しいイスラエルとなった・・・三位一体や処女懐胎などと比べるとあまり知られていませんが、キリスト教の代表的な神学の1つにこのような考えがあります。 旧約聖書では神から選民とされていたイスラエルがイエスをメシア(救世主)として受け入れず十字架につけた事により、神が愛想をつかし教会を「新しい霊的なイスラエル」として新しい選民として選び直した。このような考えを置換神学と呼びます。この置換神学によってキリスト教内における反ユダヤ思想が形成・正統化され、2教間の対立構図が約2000年経った今でも続いています。 ではこの置換神学、誰によって作られた神学でしょうか。伝統的に反ユダヤ思想の最初の提唱者はパウロだといわれています。しかしパウロ自身は厳格なユダヤ人、本当にそうなのでしょうか?そして置換神学の父はいったい誰なのでしょうか?迫ってみたいと思います。
開催日時:2014年9月13日 午後1時30分~4時00分
講師:石井田 晶二(聖書研究会 京都集会 シオンとの架け橋スタッフ)
テーマ:聖書から見たイスラエルの「今」-現地からの報告と私たちとの関係
先日、東京と大阪で開催された「政治と宗教から『中東の平和』を考える集い」で、「宗教家ではない」元外交官のイラン・バルーフ氏がイスラエル建国は聖書の預言の成就であると語られました。
私たちは今、「『イスラエルの民を北の国と、そのすべて追いやられた国々から導き出した主は生きておられる』という日がくる。わたしが彼らを、その先祖に与えた彼らの地に導きかえすからである。」(エレミヤ16:15)と言う預言が成就しつつある時代に生きています。
上記の集いの準備を兼ねて、7月下旬にイスラエルを訪問しました。現地は予想していたよりは平穏でしたが、ガザ紛争の影響は市民生活に暗い影を落としていました。そして、それ以外にも様々な点で「主は生きておられる」事を感じることができました。現地からのレポートの後、皆さんとこの出来事と私たちの関係について話し合えればと思います。ご来場をお待ちしています。
8月9日(土)の大阪の聖書に学ぶ会は、 台風のため休会となりました。
開催日時:2014年7月12日 午後1時30分~4時00分
講師:石井田 直二(聖書研究会 神戸集会 シオンとの架け橋代表)
テーマ:聖書に学ぶ会 オープンセミナー 「ノアと約束」
欧米で大ヒットし、日本でも話題の映画『ノア・約束の舟』。 ノアの洪水は、神が人を造ったことを後悔し、洪水で世界を滅ぼすという物語ですが、興味深いのは聖書に書かれているその続き。懲りない人間たちは再び神に挑戦するのですが……
ところで、この映画は聖書の物語を題材にしているのに、キリスト教界では賛否両論。その背景にはユダヤ教とキリスト教の考え方の違いも。そんな事情がわかってくると、ますます映画が面白くなります。映画をまだ観ていない方も、もう観た方も、どうぞご参加ください!
開催日時:2014年6月14日 午後1時30分~4時00分
講師:笠木 重勝(聖書研究会 大阪集会員・シオンとの架け橋スタッフ)
テーマ:「水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない」ヨハネ3:5
「私が言ったからとて不思議に思うには及ばない」。この業を為されるのは 御子なのです。生身の私が生れなければならないとおもっていませんか? 人はヨハネによって水のバプテスマを受け、御子によって聖霊と火とによってバプテスマを授けられた者であること、その者が生きている事を知り、世を救うために御子を送られた父の名と世を救った御子の名を信じる者となり、 生き生きと生きて、御子の業を証しようではありませんか。
開催日時:2014年5月10日 午後1時30分~4時00分
講師:石井田 有子(聖書研究会:京都集会員)
テーマ:「イスラエルから学ぶ 生活の中の信仰」
あなた方に言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分の体のことで思いわずらうな。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすればこれらの物はすべて添えて与えられるであろう。(マタイ伝6:25・33)
この御言葉は、あるメシアニック・ジューの女性が初めて母親になった時、励ましの手紙に引用した御言葉です。良い母親になろうと、赤ん坊に何を食べさせ、何を着させ、何を与えようかと思い悩みますが、信仰者として母が教えることは「神の国(権威)と神の義」があることだと思います。子供たちにそれを伝えるため、具体的に生活の中でしていたことをお話しします。
今回は子育ての話がテーマになっていますが、『育児』は『育自』ともいわれます。 誰にでも参考になるような、生活の中で神とつながる具体例をお話ししたいと思っています。
開催日時:2014年4月19日
聖書に学ぶ会特別セミナー 過越の祭体験会
開催日時:2014年4月12日 午後1時30分~4時00分
講師:村井 功(聖書研究会 大阪集会・シオンとの架け橋スタッフ)
テーマ:「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。(マタイ6:33)
「・・・そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。これは凄い言葉だと思います。直接的にはユダヤ人に語られたものですが、人類の長男に言われた事を弟も習っても別に罰は当たらないと思います。反って長兄を励ますことにもなり、父を喜ばす事になると思われます。
「神の国と神の義」此の壮大ともいえるテーマに真正面から向う事が出来ればと願います。今回のチャレンジは今回だけで対応出来るもではないと考えますが、その糸口を捉える事が出来ればと願っています。
出席される皆様との意見交換をとても大切だと考えております。
開催日時:2014年3月8日 午後1時30分~4時00分
講師:橋場 恵一(聖書研究会 東京集会)
テーマ:「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである」(ヨハネ伝15章27節)
聖書の重要なテーマの一つは「愛」です。キリスト教は愛の宗教であるとも言われています。 しかし、「愛」とは何かとあらためて問われてみるとはっきり定義ができない場合もあるでしょう。 今回は「愛」について皆様と共に考えてみたいと思っております。
何故ならば、これは人間存在を解き明かす大きな鍵だからです。
開催日時:2014年2月8日 午後1時30分~4時00分
講師:石井田 晶二(聖書研究会 京都集会 シオンとの架け橋スタッフ)
テーマ:イスラエルから学ぶ「たくましい」信仰
きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。(申命記6:6-7)
私たち異邦人クリスチャンは、信仰を個人的な問題と考える傾向があります。その結果、自分の体験や理解、認識にこだわり、モチベーションの低下などの問題に遭遇して確信を失って迷うことがあります。これは個人的な信仰に基づくあらゆる宗教に共通する問題です。
しかし、聖書は神の宇宙の創造から完成に至る大きなビジョンの中で、個人的な問題をとらえています。この流れの中心が、イスラエルなのです。イスラエルとメシアニック・ジューを通して、聖書に基づく個人的な状況に左右されない信仰のあり方を、皆さんと考えてみたいと思います。
開催日時:2014年1月11日 午後1時30分~4時00分
坂本 進(聖書研究会 京都集会・シオンとの架け橋スタッフ)
テーマ:何を仰ぎ見て殉教ができたのか?
「もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである(ガラテヤ3:28)
弟子たちの働きを通して、福音(グットニュース)を受け入れた人たちは、社会では最下層の人や、女、奴隷達だったと知られています。ローマの国教として313年に公認されるまで12使徒をはじめ何十万人という殉教者を出し、ライオンの餌にされたり、火で焼かれる等、激しい拷問の末に殉教していった史実に、今でも私達の襟を正されます。日本でも織田・徳川時代にキリスト教が伝えられ、殉教者数の多さと殺害方法の残虐さに、ヨーロッパへ大きなショックを与え宣教を一旦中止させた程でした。殉教に甘んじた人たちは聖書に関する基本的な知識さえもなかったのに、どの様に伝えられ、殉じて行けたのか?福音に接した時、天地がひっくり返る感動と喜びの中で福音を受けたのだろう。
ローマ国教となったキリスト教は、約二千年間の時を費やして、世界を網羅する諸々の倫理や価値観を秩序付けて、現代日本人のバックボーンをなす「道」という精神性をも形成されました。
ヘレニズムの文化の中にどっぷりと浸かっている私たち現代人は、この文化的遺産を生かす為にも、今一度その当時の使徒や信徒達が驚き歓喜して、仰ぎ見ていた福音に学びたいと思います。 ぜひご参加ください。