過去の会 【 京都地区 2014年 】

開催日時:2014年12月13日 午後1時30分~4時00分

講師:石井田 晶二(聖書研究会 京都集会 シオンとの架け橋スタッフ)

テーマ:イスラエルから見たニコデモ問答

「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいる ことはできない。」(ヨハネ3:5)

私たち異邦人クリスチャンは、ニコデモ問答を自分が神の国に入る方法に関する議論だと考えます。しかし、サンヘドリンの一員として政治家でもあったニコデモの関心とユダヤ人の王であるイエスとの話し合いは、一人一人が神の国に入る事だったのでしょうか?
イスラエルの初代首相となったデビッド・ベングリオンが、「ベングリオン」 と言う姓を選びましたが、それがニコデモの姓と同じだと言われているのは、偶然の一致でしょうか?
イスラエルの観点から見たニコデモ問答を、アジア・メシアニック・フォーラム 2014イスラエルツアーの報告も交えてお話ししたいと思います。 ぜひご参加ください。

開催日時:2014年11月15日 午後1時30分~4時00分

講師:坂本 進(聖書研究会 京都集会・シオンとの架け橋スタッフ)

テーマ:人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである。マタイ4-4

約千年前、とんでもない王が50人の幼児を生まれた時から笑いかけ、語りかけ、ふれ合いを一切禁止して育てました。愛情が欠落した赤ちゃんの残酷な実験の結果は無残なことに・・・。またオオカミに育てられた少年、犬に育てられた少女。人間の言葉を使わずに育った幼児のその後は・・・。いくら栄養が与えられてもそれだけでは成長ができません。なくてならないものがあります。育てるものは食物ではありませんでした。人は食べ物だけではない、人との関係見えない言葉も食べていることを教えられます。私達も神の言葉を食べていなければ魂は死んでいます。

開催日時:2014年10月25日 午後1時30分~4時00分

講師:石井田 輝都(ヘブライ大学聖書考古学・比較宗教学専攻:京都地区員)

テーマ:パウロ神学から置換神学へ―パウロがキリスト教を反ユダヤにしたのか?

「兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。」ローマ11:25

イスラエルは神から捨てられ、教会は新しいイスラエルとなった・・・三位一体や処女懐胎などと比べるとあまり知られていませんが、キリスト教の代表的な神学の1つにこのような考えがあります。
旧約聖書では神から選民とされていたイスラエルがイエスをメシア(救世主)として受け入れず十字架につけた事により、神が愛想をつかし教会を「新しい霊的なイスラエル」として新しい選民として選び直した。このような考えを置換神学と呼びます。この置換神学によってキリスト教内における反ユダヤ思想が形成・正統化され、2教間の対立構図が約2000年経った今でも続いています。ではこの置換神学、誰によって作られた神学でしょうか。伝統的に反ユダヤ思想の最初の提唱者はパウロだといわれています。しかしパウロ自身は厳格なユダヤ人、本当にそうなのでしょうか?そして置換神学の父はいったい誰なのでしょうか?迫ってみたいと思います。

レポートの後、皆さんとこの出来事と私たちの関係について話し合えればと思います。

開催日時:2014年9月27日 午後1時30分~4時00分

講師:石井田 晶二(聖書研究会 京都集会 シオンとの架け橋スタッフ)

テーマ:聖書から見たイスラエルの「今」-現地からの報告と私たちとの関係

先日、東京と大阪で開催された「政治と宗教から『中東の平和』を考える集い」で、「宗教家ではない」元外交官のイラン・バルーフ氏がイスラエル建国は聖書の預言の成就であると語られました。
私たちは今、「『イスラエルの民を北の国と、そのすべて追いやられた国々から導き出した主は生きておられる』という日がくる。わたしが彼らを、その先祖に与えた彼らの地に導きかえすからである。」(エレミヤ16:15)と言う預言が成就しつつある時代に生きています。
上記の集いの準備を兼ねて、7月下旬にイスラエルを訪問しました。現地は予想していたよりは平穏でしたが、ガザ紛争の影響は市民生活に暗い影を落としていました。そして、それ以外にも様々な点で「主は生きておられる」事を感じることができました。現地からのレポートの後、皆さんとこの出来事と私たちの関係について話し合えればと思います。ご来場をお待ちしています。

開催日時:2014年8月16日 午後1時30分~4時00分

講師:村井 功(聖書研究会 大阪集会・シオンとの架け橋スタッフ)

テーマ:わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。ヨハネ6:54

この聖句は、五つのパンと二ひきの魚の奇跡に続く一連の導きとして展開され、聖餐式としてその御言葉の重要性を認識させられています。我々は、その典礼に対しておごそかで重要な事として接しておりますが、それだけでは片手落ちだと思われます。 聖句が導いて居られる道を具体的に通って行こうではありませんか。そうでなければ一部の弟子を失う程の危険を冒してまで、主が語られた意味がありません。 永遠の命に向って、今回は具体的な信仰の実を得る為に前進する事になればと願っております。皆様方のご助力を期待しております。

開催日時:2014年7月26日 午後1時30分~4時00分

講師:福田 正明 (聖書研究会 東京集会)

テーマ:ヘビは女に言った。あななたがたは決して死ぬことはないでしょう。 それを食べると、 あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。 創世記3章4-5節

エデンの園において、ヘビが女に「それを食べると、あなたがたの目が開け・・・」と 誘いの言葉を言ったので、ついに女も、また共にいた夫も食べた結果、二人の目が 開けたと記されています。「目が開く」という事がどういう事をを意味するのか、私達一人一人にとって、いのちに関わる大きなテーマです。共に聖書に学びたいと思い ますのでお越し下さい。

開催日時:2014年6月28日 午後1時30分~4時00分

阿部 和博(聖書研究会 大阪集会・シオンとの架け橋 スタッフ)

テーマ:「あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。」マタイ伝13章13~17節

群衆に、譬えで神の国を語らざるを得なかったわけを、イエスはイザヤの言葉を引用して話したのですが、その意図を彼らは理解できませんでした。ところが、旧約の人々が願っても見聞きできなかった世界を、弟子たちは実際には味わっていたのです。その恵みを、「あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。」と語りました。弟子たちは、この言葉をどのように受け止めたのでしょうか。私たちはどの様に受け止めるべきでしょうか。皆様と共に学んでみたと思います。

開催日時:2014年5月24日 午後1時30分~4時00分

講師:坂本 進(聖書研究会 京都集会・シオンとの架け橋スタッフ)

テーマ:なぜ人生は苦しみや悲しみが続くのか・・・

「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、・・・・神を求める人はいない。 すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。ロマ人3:12 

仏教は人生が無常であり、無明、煩悩の闇にある現実から悟りに導くといいます。聖書も基本的に一人もいない、すべての人は…とあります。人生観の中にはまるで生きる意味と目的がなく無益だという無情な結論になっています。だから駄目だという事ではなく、真に求めなさいという反語でもあります。生きている間だけの安易な生きがいでなく、聖書は深く永遠に通じる価値を物差しとして説明しています。人は自分の命に対して、根本的な錯覚をしています。苦渋や悲しみに終るのでは魂の死です。錯覚ならエクソダツが(出エジプト)ができます。脱出し解放ができるのです。 個人の苦しみ悲しみから脱出する、命の法則を見出しましょう。

開催日時:2014年4月26日 午後1時00分~4時00分

講師:石井田晶二(聖書研究会 京都集会 シオンとの架け橋スタッフ)

テーマ:「主の祈り」に学ぶ聖書的な祈り方

だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。 マタイ6:9

日本語の翻訳では、「こう祈りなさい」と翻訳されているこの聖句ですが、原語や英文では 「このように」とも受け取れる言葉が使われています。クリスチャンは主の祈りをそのままとなえますが、 「このように」と受け取るとイエスが私たちにクリスチャンの祈りの模範的は例を示したと言えます。 今回はこの観点から、私たちの祈りがどうあるべきかについて、皆さんの意見もお聞きしながら 共に学んでみたいと思います。ぜひ、ご来場ください。

開催日時:2014年3月22日 午後1時30分~4時00分

講師:石井田 有子(聖書研究会 京都集会 シオンとの架け橋スタッフ)

テーマ:イスラエルから学ぶ「たくましい」信仰 ②

聖句
あなた方に行っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、 何を着ようかと自分の体のことで思いわずらうな。、、、、 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすればこれらの物はすべて添えて与えられるであろう。 マタイ伝6-25、6-33

この御言葉は、あるメシアニックジューの女性が初めて母親になった時、励ましの手紙に引用した御言葉です。

良い母親になろうと、赤ん坊に何を食べさせ、何を着させ、何を与えようかと思うなやみますが、信仰者として母が教えることは「神の国(権威)と神の義」があることだと思います。
子供たちにそれを伝えるため、具体的に生活の中でしていたことをお話しします。
今回は子育ての話をがテーマになっていますが、『育児』は『育自』ともいわれます。
誰にでも参考になるような、生活の中で神とつながる具体例をお話ししたいと思っています。

開催日時:2014年2月15日 午後1時30分~4時00分

講師:石井田 晶二(聖書研究会 京都集会 シオンとの架け橋スタッフ)

テーマ:イスラエルから学ぶ「たくましい」信仰①

きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。(申命記6:6-7)

私たち異邦人クリスチャンは、信仰を個人的な問題と考える傾向があります。その結果、自分の体験や理解、認識にこだわり、モチベーションの低下などの問題に遭遇して確信を失って迷うことがあります。 これは個人的な信仰に基づくあらゆる宗教に共通する問題です。しかし、聖書は神の宇宙の創造から完成に至る大きなビジョンの中で、個人的な問題をとらえています。この流れの中心が、イスラエルなのです。
イスラエルとメシアニック・ジューを通して、聖書に基づく個人的な状況に左右されない信仰のあり方を、皆さんと考えてみたいと思います。

開催日時:2014年1月25日 午後1時30分~4時00分

坂本 進(聖書研究会 京都集会・シオンとの架け橋スタッフ)

テーマ:何を仰ぎ見て殉教ができたのか?

もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである(ガラテヤ3:28)

弟子たちの働きを通して、福音(グットニュース)を受け入れた人たちは、社会では最下層の人や、女、奴隷達だったと知られています。ローマの国教として313年に公認されるまで12使徒をはじめ何十万人という殉教者を出し、ライオンの餌にされたり、火で焼かれる等、激しい拷問の末に殉教していった史実に、今でも私達の襟を正されます。日本でも織田・徳川時代にキリスト教が伝えられ、殉教者数の多さと殺害方法の残虐さに、ヨーロッパへ大きなショックを与え宣教を一旦中止させた程でした。殉教に甘んじた人たちは聖書に関する基本的な知識さえもなかったのに、どの様に伝えられ、殉じて行けたのか?福音に接した時、天地がひっくり返る感動と喜びの中で福音を受けたのだろう。
ローマ国教となったキリスト教は、約二千年間の時を費やして、世界を網羅する諸々の倫理や価値観を秩序付けて、現代日本人のバックボーンをなす「道」という精神性をも形成されました。
ヘレニズムの文化の中にどっぷりと浸かっている私たち現代人は、この文化的遺産を生かす為にも、今一度その当時の使徒や信徒達が驚き歓喜して、仰ぎ見ていた福音に学びたいと思います。

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